orangeflowerのブログ

愛情過多の子育てを振り返ります

担任の先生の熱血対応で再び不登校になる

不登校初期は、学校を休む理由が次々に変わっていきました。


きっかけは友達とのトラブルでしたが、次の理由は、


フラフラするから。




その頃はマラソン大会に向けて体育の時間はマラソンでした。


娘は体育を見学するのを嫌がりました。


「ずるい」


そんな事をいう子がいるから。言われたくないから。



娘は人の言うことを敏感に受け取る、敏感な子です。


小さい頃から、クラスのいざこざや、怒られている子を気にし、どなる子を怖がりました。


HSCという個性であることを知りました。


私もHSPなのだとわかった時、小さい頃からずっと何かみんなと違う感覚で生きづらさを抱えていた意味がわかったのと、他にも私のような人がたくさん居るということがわかり、ホッとした気持ちにもなりました。



私は学校を休む事は厳しくしてきました。

なので、娘は熱を出した時以外は休まない子でした。


その点はとても頑張り屋さんでした。


だから「学校へ行きたくない」には驚きました。


ほぼ毎年皆勤賞の娘だったので、数日休めば元通りになるだろうと思っていたのです。


娘も「マラソン大会が終わったら行ける」と言っていたので、お家でゆっくりしていました。


そして約束通り、マラソン大会が終わった次の日は登校しました。



ですが、その登校した日に、担任の先生の間違った対応のために、次の日から完全不登校になりました。


励まし、褒めたたえ、喝をいれる。

君は一人じゃないぞ!クラスみんなが待っていた!



そのようなノリで迎えられ、娘は普通に帰ってきたのですが、

その夜、しくしくと泣きしました。


みんなのヒソヒソ声が怖かった。

何を言われたのかは知りません。


クラスメイト「声が小さくて聞こえません」


みんなの目が怖かった。

先生「みんなで応援するぞ!頑張れ!!」



みんなの、前に立って、卒業式間近なので中学生になる前の意思表明をさせられたそうです。


それも、友達の書いた漢字一文字を使って。




「頑張っても大きな声が出なかった。

フラフラして、前がみえなくなった。

みんなが見ていて、、、

怖い、怖い、、、」



そして次の日からまた行かなくなってしまいました。

放課後に宿題を届けてくれたお友達から全てを聞きました。


昨日の事は可哀想だったと。



私は胸が痛く怒りとはりさけそうな気持ちでした。

そして、その事は先生にはお伝え致しました。


二度と間違わないようにとお願いしました。




担任の先生は若い男の先生で、クラスは一致団結のようにと、やんちゃな男の子達のエネルギーを上手に使う熱血先生でした。


私は何度となく、

「うちのようなおとなしい生徒の意見は全く届きませんよね。発言できない子のストレスはどこへいきますか?」


と訪ねましたが、


意見を言える子になってほしい」と言われ、クラスでの決まり事を変えてはくれませんでした。



きっと、娘のためにとしてくださったのだと思います。

私も娘には辛いだろうけれど、乗り越えて欲しいという思いもありました。



ですが、久しぶりの学校でのその日の出来事は、娘にとっては恐怖でしかなかったようでした。


その事で人が怖くなってしまいました。


フードをかぶり、毛布をかぶり、夜になると、

怖がりました。


明日の朝が怖いと、、、。

それからは、日に日に元気がなくなっていきました。