orangeflowerのブログ

愛情過多の子育てを振り返ります

頼りない母

今の私はポジティブなのですが、過去の私は自分の事を根暗だと思っていました。


そんな根暗を隠し、完璧な母親をしてきたつもりなのに、娘が不登校にって、、、



なんでなん?私の人生の中で1番辛い出来事でした。



自分のことならともかく、愛する娘のメンタル。

どうすれば良いのかがわからなかった。

どうすることもできなかった。


1番幸せであって欲しい娘が、なぜこんなに苦しむ事になったのか、、、


頼りない私のせいだ。


自己嫌悪や自責の念に後悔し、私なんかが親になってしまった事の罪悪感を抱き、いっそのこと二人で、、、なんて考えるだけではなく、口に出したことも1度ありました。


「ママ、何言ってるの、、、」


娘が否定して泣いてたかな、、、、



辛すぎた記憶は所々消えてるんです。

人間の脳ってとってもよくできている。



ネガティブな私になったのは、親にそんな育て方をされたからなのだと、心理学の勉強をしていくうちにわかりました。

もともと、持っていた性格もプラスされますが。



私は母に「頼りない、しっかりしなさい」

と言われ続けて成長しました。


何かする度に「頼りない、しっかりしなさい」と言われていました。


大人になった後も、娘を産んだ後も、ずっとずっと、母にはそう言われました。


ずっと私は頼りないし、しっかりしていないのだと自信がなく、



娘が不登校になった時も母に

「大変!何してるの!?しっかりしなさい」


そう言われました。


そんな私から、子育て中のお母さんへ。


「頼りない」と言われ続けていると、自分の中でも「私は頼りない子」になります。


「弱くてママがいないと心配」と思って接していると、子供ちゃん自身も「弱くてママがいないと心配」になり、母子登校や不登校になる場合もあります。


肯定感が下がるんです。

ネガティブな感情が移り、「頼りない、しっかりしていない、何にもできない自分」から抜け出せませんでした。その母にすれば、ちょっとした言葉だったとは思いますが、私には重く私をえらく落ち込ませました。


娘が不登校になったとき、私のせいだと、私が頼りなくて、しっかりしていないから、ダメな母親なんだと。


娘、こんな母でごめんなさい。

担任の先生の熱血対応で再び不登校になる

不登校初期は、学校を休む理由が次々に変わっていきました。


きっかけは友達とのトラブルでしたが、次の理由は、


フラフラするから。




その頃はマラソン大会に向けて体育の時間はマラソンでした。


娘は体育を見学するのを嫌がりました。


「ずるい」


そんな事をいう子がいるから。言われたくないから。



娘は人の言うことを敏感に受け取る、敏感な子です。


小さい頃から、クラスのいざこざや、怒られている子を気にし、どなる子を怖がりました。


HSCという個性であることを知りました。


私もHSPなのだとわかった時、小さい頃からずっと何かみんなと違う感覚で生きづらさを抱えていた意味がわかったのと、他にも私のような人がたくさん居るということがわかり、ホッとした気持ちにもなりました。



私は学校を休む事は厳しくしてきました。

なので、娘は熱を出した時以外は休まない子でした。


その点はとても頑張り屋さんでした。


だから「学校へ行きたくない」には驚きました。


ほぼ毎年皆勤賞の娘だったので、数日休めば元通りになるだろうと思っていたのです。


娘も「マラソン大会が終わったら行ける」と言っていたので、お家でゆっくりしていました。


そして約束通り、マラソン大会が終わった次の日は登校しました。



ですが、その登校した日に、担任の先生の間違った対応のために、次の日から完全不登校になりました。


励まし、褒めたたえ、喝をいれる。

君は一人じゃないぞ!クラスみんなが待っていた!



そのようなノリで迎えられ、娘は普通に帰ってきたのですが、

その夜、しくしくと泣きしました。


みんなのヒソヒソ声が怖かった。

何を言われたのかは知りません。


クラスメイト「声が小さくて聞こえません」


みんなの目が怖かった。

先生「みんなで応援するぞ!頑張れ!!」



みんなの、前に立って、卒業式間近なので中学生になる前の意思表明をさせられたそうです。


それも、友達の書いた漢字一文字を使って。




「頑張っても大きな声が出なかった。

フラフラして、前がみえなくなった。

みんなが見ていて、、、

怖い、怖い、、、」



そして次の日からまた行かなくなってしまいました。

放課後に宿題を届けてくれたお友達から全てを聞きました。


昨日の事は可哀想だったと。



私は胸が痛く怒りとはりさけそうな気持ちでした。

そして、その事は先生にはお伝え致しました。


二度と間違わないようにとお願いしました。




担任の先生は若い男の先生で、クラスは一致団結のようにと、やんちゃな男の子達のエネルギーを上手に使う熱血先生でした。


私は何度となく、

「うちのようなおとなしい生徒の意見は全く届きませんよね。発言できない子のストレスはどこへいきますか?」


と訪ねましたが、


意見を言える子になってほしい」と言われ、クラスでの決まり事を変えてはくれませんでした。



きっと、娘のためにとしてくださったのだと思います。

私も娘には辛いだろうけれど、乗り越えて欲しいという思いもありました。



ですが、久しぶりの学校でのその日の出来事は、娘にとっては恐怖でしかなかったようでした。


その事で人が怖くなってしまいました。


フードをかぶり、毛布をかぶり、夜になると、

怖がりました。


明日の朝が怖いと、、、。

それからは、日に日に元気がなくなっていきました。

小学校6年生3学期、不登校

娘は毎日家に居るようになり、元気がなくなり、とにかく娘が、か弱くみえていました。心配でした。

不憫でした。

どこで何を間違えたのか。

スマホで検索をする毎日がはじまりました。


笑わない娘。なんとか元気になってほしい母。


この頃の私は、ただただ娘の笑顔が見たかったのです。


「フラフラする。どうして?」娘はよく口にしていました。


そしてそれは半年前からはじまっていました。

貧血ぎみで倒れたり、外出した時に歩けなくなって、座り込んだり。


女の子の成長の過程のホルモンバランスが崩れているのかなと思いました。


今、振り返ると、その頃の娘はホルモンバランスに加え、精神的苦痛により、身体が強制終了になったように思います。



以前から心配性の私でしたが、さらに心配するようになっていきました。



私に過度に心配されたので、娘もどんどん不安になっていきました。


誰に相談すれば良いのかわからず、お医者様に相談しても答えがなく、スクールカウンセラーさんに相談しましたが、見守りましょう。それだけでした。


私たち二人は、世間に取り残されたような感覚になっていきました。